澤野建築研究所
澤野 眞一

建築家の意図を伝える「物」は図面のはずだが・・・・・

日本の国の建築は木造建築が特徴です。
法隆寺や元興寺は誰でも知っている奈良の建築ですが出雲大社は、48mの高さを誇る木造建築だった、との説があることは一部の建築家や歴史好きの人にしか知られていません。高さ48mの根拠は2000年の発掘調査で、直径1.35mの丸太を3本組み合わせた遺構が見つかり「金輪御造営差図」との合致が指摘されたことによって裏付けられました(所説あるようです)

建築図面はかつて指図と呼ばれていて、現存する最古のものは奈良の正倉院所蔵の「東大寺講堂院図」とされてきました。出雲大社の「金輪御造営差図」は図面というには「絵」のようですがこちらの方が古そうです。また漢字の表記も差図と指図の違いにも表れています。
出雲大社の高さ論争に決着がついていない理由の一つは、私たちが呼ぶところの立面図が見つかっていないためです。現存する立面図の最古のものは奈良の大和多武峰(とうのみね)神社の本殿指図で永禄年の造替時に作成されたもの(永禄2年1550年の裏書)で平面図、立面図、縦断面図、内陣天井詳細伏図で構成されています。

しかしここでちょっと疑問が生じます。建主は何をもとに棟梁たちのイメージを理解していたのでしょうか?どうやら棟梁たちは模型を製作していた、という記録が平安時代の末期に残っているようです。やはり一般の方に建物を伝えるためには二次元の図面だけではなく三次元表現が必要だったのですね。

ところで、建主の権威などを表す外観は模型で完成形を示すには有効ですが、安土桃山時代に花開いたお茶文化の茶室は外部の威厳などはどうでもよい建築で、内部空間が需要です。
ではお茶室の図面はどのようになっていたのでしょうか?
それを表すのが今でも現存する「起こし絵」です。起こし絵には事細かに寸法、材料、仕上げ方法が書かれていて、これをもとに新たな茶室を創る参考にしていました。
写真は江戸中期の起こし絵です。初期のころの4.5帖平天井茶室や雪隠、水遣も含まれていてとても興味深いです。

茶室リスト前編

茶室リスト後編

江戸中期の起こし絵

江戸中期の起こし絵