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■日本は森林の国です。
日本の森林は人の手が入ることで維持されてきました。
しかし、国産木材が使われなくなったために、手入れが行き届かず放置された森林が増え、危機に瀕しています。
私たちは、無垢の木を使った家づくりを広めることで、山の緑の保全に貢献したいと考えています。
■近年、シックハウス症候群や欠陥住宅の問題がテレビや新聞等で大きく報道され、住まいに関する市民の関心は高まりました。
しかし、その関心の多くはホルムアルデヒド含有率などの建築資材の物理的データや、住宅性能表示の数値に集中しています。
なぜ、家の中に人体に害をおよぼす可能性のある新建材がこれだけ多く使われるのでしょうか。
一律的な住宅の性能表示は自分の生活にとってどんな意味があるのでしょうか。
私たちは、家づくりの原点に立ち返ってそれらの問題点を住まい手とつくり手双方の視点で考え直します。
■住まいの問題は、建築家や職人などのつくり手だけにまかせておいてよい問題ではありません。
ほとんどの人が家という住まいの器の中に暮らしているのですから。
しかし、義務教育ではほとんど住まいについての教育をしていません。
そこで、私たちは住まい手とつくり手が一緒になって、学習し、体験し、ともに考える場を提供したいと考えます。
それは、単なる建設業や住宅産業といった狭い枠の中の議論ではありません。
木材産地となる山の環境、家をたてる場所の地域性、さらに職人の技など、そして、これらすべてのことが住まい手のニーズのあり方と密接にからんでいます。
こうした多面的なテーマをフィールド(山や家づくりの現場)に出て学びたいたいと考えています。
特に、現代社会の住宅地を支える女性たちと、未来を担う子供たちのために。
■日本語には標準語がありテレビ放送や新聞にはそれが使われますが、現代でも地方に行けば方言が使われています。
方言はその地域の気候風土や歴史的文化性によってつくりだされた物で、その地域の人にとっては方言でないと伝えられない気持ちがあります。
家(いえづくり)もそれと同じではないでしょうか。
私たちの暮らす武蔵野にもそんな家があったはずです。
私たちは、そんな家を住まい手とつくり手が一緒になって、学習し、体験し、ともに考えます。
■家は現場でつくられます。
決して環境制御された実験室でつくられるものではありません。
工場の製作機械がつくるものではなく、人の手によってつくられるものです。
こんな当たり前の事さえ現代では忘れられています。
以前は身近に職人さんが暮らしていて、木材や瓦や畳をつくる工場が近くにあり、工事現場にもたくさんの職人さんが働いていました。
どの職人さんの腕が良いだの、○○の木材を使って良かっただの、地域の中に家づくりの情報が普通に蓄積され、建て主も仕事の質には厳しい目をもっていました。
ところが最近は家の材料の部品化が進み、職人さんが現場から減り、建て主と職人が顔を合わせる機会がめっきり減りました。
建て主は、誰に家をつくってもらっているのか知らず、職人も誰の家をつくっているのか知らず、たんたんと物理的作業が現場で遂行されていきます。
顔の見えない家づくりは欠陥住宅の温床にもなっています。
私たちの生活の基盤である家はこれで良いのでしょうか。
また、家づくりは、建物が完成して終わりではありません。
むしろ始まりです。
建物の維持管理はもちろんの事、家族の変化に応じて家は変化しなくてはなりません。
そこで必要なことは、住まい手の家づくりに対する確かな考えや職人さんの仕事を見る確かな目、それにこたえる地域に根付いた信頼あるつくり手たちの存在です。
私たちは賢い住まい手と信頼できるつくり手が一緒になって、顔が見える家づくりを考えます。
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