だいすきだから、究める。

木の家コラム

住みながらできる快適性アップ

今年の冬は寒くならないと思って年初頃でしたが、その後雪も降り、ちゃんと寒い日がやってきました。夏は暑く、冬も寒く、日本の家で快適に過ごすためには暑さ寒さの両方に対応しておけると良いですね。一昨年、寒さを改善したいとYさんからご相談頂きました。まだ築5年ほどとのことだったので、一体どれだけのことができるものかと思いながら現地を確認に伺いました。
平屋で面積は広くないものの窓が大きかったり、窓の数も多かったり、
窓自体の断熱性能や、壁・床・天井に施工されている断熱性能がさほど性能が高いものではなかったり…と状況が分かりました。

共存、融合する建築

前回のコラムでUA値の数値を上げるだけでは快適な建築空間が出来ません、数値は一つの判断基準ですが数値のみを追いかけるとむしろ快適な空間創りから離れていってしまいますよ、というお話をしました。
UA値の数値を誇っていた某ハウスメーカーの、このコマーシャルは最近見かけなくなりました。 今回のコラムは、木の家だいすきの会からちょっと離れてのお話。スペインアンダルシア地方にはイスラム建築とキリスト教建築が併存しています。というよりむしろ融合とまで言っても過言ではない建物もめずらしくあります。その最たるものがコルドバにある大モスク通称メスキータです。このモスクは785年に建設が始まりイスラム時代に3回の増築がなされ巨大になりました。現在は東西約135m南北約175mです。1236年コルドバはキリスト教徒によって奪還されましたがモスクをすべて取り壊すことはしませんでした。その代りにモスクの中心をキリスト教教会に造りなおしました。その為骨格は変わっていません。見事な2段アーチも美しく残っています、驚くことにモスクの必須アイティムのキブラやミフラーブも美しいまま残されています。さすがにミンバルは無くなっていました。モスクの象徴であるミナレットも残っています。果たしてこれはキリスト教教会?それともモスク?と思える空間です。 どうやら異なる宗教を敵視してしまうことや過激な破壊は近代から始まったようです。一般の人々は宗教が異なっていても普通に共存しお互いをリスペクしていたことが建築を見ているだけでもわかる空間でした。排除するのではなく共存、融合していく空間に魅力を感じました。日本の公共建築もやっと木の建築との共存、融合が始まってきました。

山を知らない設計者が山を滅ぼす?

SDGsの観点から「伐って、植えて、育てる」という森林の循環利用が大切であることが理解されるようになってきました。熱帯雨林の伐採が環境破壊として問題視されるなかで、20年前は「日本でも木を伐ることは森林破壊になるでしょうか?」という質問に「人工林が多い日本で今必要なことは、伐って植えて育てることです。」と正確に答えられる人は3割程度でした。現在では、この割合は相当高まっていると思います。 このように社会的認識がステップアップした現状のもとで、「専門家である設計者に求められることは何か?」と考えた時に頭に浮かんだ言葉が、「山を知らない設計者が山をほろぼす」という三井所清典氏(日本建築士会連合会元会長、芝浦工業大学名誉教授)の言葉です。日本は傾斜のきつい山地で林道の整備も進んでいませんので、運び出すための条件も考慮して使うことが必要となります。立木はまっすぐ見えても微妙に曲がっていますので長尺材の歩留まりは悪くなりがちです。丸太はよく使われる3mないし4mに伐採現場で切断され、土場に運ばれてきます。長尺や径の太い丸太は事前に情報を伝えておかないと入手が難しいし、価格も高くなります。したがって、建築コストを抑えようとすれば、地域で入手可能な木材情報を設計前に把握し、地域の大工さんが取り組みやすい在来軸組み工法で設計することが有力な選択肢になります。ところで、原木市場が担う“選木”機能は森林資源を余すところなく活用するカスケード利用の役割を担っています。丸太が全て建築用の製材として使えるわけではなく、杭などの土木用材料、木質材料の原料、紙の原料、燃やして熱源とするなどの需要があり、それを仲介する機能を担っています。森林資源のカスケード利用を促すため、製材や木質材料をどう選択して使うか、地域の事情を把握して設計することも必要です。

家づくり小話

設計監理で現場に行った時のこと。大工工事が終わりこれから左官工事(壁を塗る)が始まるという段階。現場に行ってみると 一箇所壁から「込み栓」(柱と梁を留める木棒)が出ているのです。
普通は切り落として、壁の中に隠れてしまうもの。現に他の箇所では全部切ってある。なぜか一箇所だけ残っている?。
あれ?切り忘れ?そして何でこのまま壁を塗ろうとしている? 現場監督に聞きました。
私 「○○さん ちょっといいですか。こっち ほら これ 何で?」
監督「ああ〜 切りますか?」
私 「えっと なんで?切り忘れ?」
監督「△△さん(棟梁のこと)たまにこういうことをするんですよ」
私 「えっと なんで」
監督「いや 気になるなら切りましょう」
私 「いや 気になるけど なんで?」
監督「こういう家だっていうこと ま 洒落でしょう」 みんな知っていて 残しているのですね。
棟梁がわざとやって
監督が そのままほおっておいて
左官屋が そのままで壁を塗ろうとしている。
それを設計者が無粋なことはしてはいけない。 木をしっかり組んだ家だよっていう表現もあるでしょう。
でもそれだけではないと感じました。
じつはいろいろ苦労があった現場だったのですが
この、ひとつだけ残された込み栓になぜか励まされたように感じました。 完成間際になって 住まい手もその込み栓に気付きました。
じ~っとしばらく見ていましたが その後、何も言いませんでした。
住まい手は あの込み栓に何を感じ取ったのでしょう? 今も あの込み栓事件は(事件?)私にとって想い出になっています。
面白い棟梁だったなあ。
こういうのって 人肌を感じるというか 気持ちがいいと感じます。
棟梁の家に対する熱意や思いがあり 周りの人(住まい手や設計者など)への気持ちがある。 家にそのような物語があることは そこに住む人たちにとって、どのような意味があるのでしょう?
時としてそれは青臭いし面倒くさい。
でも気持ちの豊かさ 情操を育んでいけるのは 
やはり 人と人との関係 人と自然との関係 人とモノとの関係だと感じました。
それ大切にしていきたい。 家づくりを通して 人が豊かになっていければと思いつつ・・・

「木の家」の実力

今年は本当に「暑い」夏でした。40℃に迫る気温も度々で、東~北日本も、もはや「亜熱帯」気候では?という声も聞こえてきます。暑い夏といえば、随分前になりますがタイのバンコクに旅行し、真夏の昼下がり、タイのシルク王・ジムトンプソンの旧住居だった「ジムトンプソンの家・博物館」を訪れました。タイの伝統的建築様式を取り入れたものでしたが、仄暗い室内のひんやりしたチーク材の床の足触り、深い軒から、緑濃い花の美しい庭に複抜ける風の心地良さが、今でも思い出されます。バンコクでもホテルやオフィスなどは、冷房を思い切り効かせて、外とは「別世界」というのが当時の最先端だったようですが、タイの自然と融和した「ジムトンプソンの家」は、都会のオアシス、といった雰囲気でした。風土の違いはありますが、亜熱帯になりつつあるらしい関東周辺でも、住まいには同じような心地良さが求められているのではないでしょうか。

どうする、ウッドショック対策?

令和3年4月ウッドショックは突然やってきました。新型コロナ汚染がきっかけで海外からの木材の輸入がまったくストップしたため、その代替に国産材を買いあさる動きが活発化して、国産材価格も高騰しました。国産の杉の柱(乾燥材)価格は、ウッドショック直前の令和3年3月69,800円/㎥が6ヶ月後の9月には139,000円と2.0倍まで高騰しました。
その後、外材の輸入も再開し落ち着きを見せてきましたが、令和5年6月現在、未だ97,000円/㎥と1.4倍の水準を維持しています。一方、この間の丸太の価格は14,200円/㎥だったものが8月に19,100円/㎥(1.35倍)に達し、現在は15,200円/㎥(1.1倍)とほぼコロナ前の水準にもどっています。
「立木の価格が安くて植林をする余力がない」と言われている中で、私は内心では森林所有者もこれで一息つくのではないかと思っていましたが、実態はそうではなかったようです。原料の丸太と製品の柱の価格の動きにどうしてこれほどの差が発生したのでしょうか。原因はあきらかで、ウッドショックによる価格の高騰の恩恵は製材~流通の過程で多くは吸収されてしまったためです。これは全国の平均的な動きです。木の家だいすきの会のフィールドである奥武蔵の森ではどうだったでしょうか。昨年、連携頂いている素材生産者や製材所の方に聞き取り調査した結果では、立木の価格も製材の価格もピーク時はいずれも2倍でほぼ同じでしたので、ウッドショックによる高値が森林にも波及していました。この地域では、木材の付加価値を高め、高く買っても良いという消費者の支持が得られれば、市場構造の中でそれを森林に還元することができることを示しています。木の家だいすきの会では、スギの香り成分が保全される乾燥方法によりスギの付加価値を高め、それを森林に還元できる取組を促進したいと考えています。

中古住宅の調査診断を誰に頼むか?(ワンストップか、第三者性か)

最近、新築ではなく中古住宅を購入してリノベーションするという人が増えています。よほど状態の良い中古住宅であれば別ですが、購入するとなると、劣化状況や耐震性、断熱性などの性能も気になりますよね。国も、空き家対策や中古住宅の流通を活性化させるため様々な施策を講じていて、2016年には宅地建物取引業法の一部が改正され、専門家による既存住宅状況調査(インスペクションと言います)の活用を促すことが義務化されました。依頼者の意向に応じてインスペクション業者のあっせんの可否を示すという少々ややこしい法律で、インスペクションの実施自体は義務化されませんでしたが、通常の不動産取引の場にインスペクションという言葉が登場することになりました。これまでは、築年数や構造、面積や間取りといった基本的な情報のみで中古住宅を売買していましたが、これからは、中古住宅の劣化状況等も専門家が調査してから売買するという、購入者が安心して良質な中古住宅を選ぶことが出来る仕組みづくりが進められています。

誰にも気兼ねなく楽に暮らせる高齢者の住まい あるケース

将来の体の衰えを見据えての住まいや、老親のための住宅改修など、設計でお手伝いする機会は少なくありませんでした。
高齢者にとって移動を安全にすることと介護が受けやすいこと、関係者にとってはお世話がしやすいことが、新築でもリフォームでも考え方の軸になります。1階だけで生活ができること、段差を無くすことを基本にすることがしばしばなのですが…。ここで紹介するのは、86歳と82歳の高齢夫婦、筆者の父母の住まいについてです。
現在、二人が暮らす築22年30坪弱の住宅は、元々次女夫妻が建てた家です。次女夫妻が家を建てて10年が経過した頃、3人の子供たちが大きくなり何かと手狭であるとの話が持ち上がり、父母が住む向かいの45坪住宅と入れ替わり引越しを行っていました。次女夫妻が建てた家30坪住宅は、スキップフロアのつくりで、道路レベルの駐車場階、半階上がってメインフロア、また半階上がって寝室・収納・トイレ、さらに半階上がって子供部屋フロアの構成です。家の内外に4つの階段があり、小上がりまであるという、言ってみればアップダウンの多い家です。父母がここに住み始めた年齢は74歳と70歳。リタイヤしてまだ数年で体の衰えはみられず、二人それぞれの趣味や孫たちのサポートに忙しくしていた頃でした。

不便益という言葉があるのをご存じですか?

京都大学の川上教授という方が「不便だからこそ得られるものもある」と、「不便益」(造語)という考え方を提唱しています。数年前から唱えているそうですが、僕が知ったのは少し前です。 実のところ、言葉以外に深くは知らないのですが、家を設計する際にとても気になっていた「便利さ」。なぜかというと、暮らしに便利さばかりを求める建て主さんに出会ったことがありまして、話を進めていくにつれ、どんどんモチベーションが下がっている自分に気付きました。僕は本来、暮らしに便利さはあまり求めませんし、暮らす家はちょいと田舎で、最寄り駅から歩くこと20分ほどのところにあります。あと5分近ければ楽だなあ?・・とは思いますが、駅近に住みたいとも都会に住みたいとも思ったことはありません。かつて、8年間ほど実家の「離れ」で暮らしていました。こども部屋は母屋の2階にあるため、部屋に行くには離れの2階のベランダ経由で母屋に渡ります。寒くても、一瞬外へ出なければなりませんので、天候によってはちょっと濡れたりすることもありますが、それはそれで子供たちも楽しかったようです。 また、薪ストーブもありましたが、実は全く便利なものではありません。
薪の確保や着火、灰の処分やメンテナンスなど、かなり面倒なものです。大きな堀座卓は、立つ、座るが面倒なうえ穴の掃除も意外と大変です。

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