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木の家コラム

不便益という言葉があるのをご存じですか?

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京都大学の川上教授という方が「不便だからこそ得られるものもある」と、「不便益」(造語)という考え方を提唱しています。

数年前から唱えているそうですが、僕が知ったのは少し前です。

 

実のところ、言葉以外に深くは知らないのですが、家を設計する際にとても気になっていた「便利さ」。

なぜかというと、暮らしに便利さばかりを求める建て主さんに出会ったことがありまして、話を進めていくにつれ、どんどんモチベーションが下がっている自分に気付きました。

僕は本来、暮らしに便利さはあまり求めませんし、暮らす家はちょいと田舎で、最寄り駅から歩くこと20分ほどのところにあります。

あと5分近ければ楽だなあ?・・とは思いますが、駅近に住みたいとも都会に住みたいとも思ったことはありません。

かつて、8年間ほど実家の「離れ」で暮らしていました。

こども部屋は母屋の2階にあるため、部屋に行くには離れの2階のベランダ経由で母屋に渡ります。

寒くても、一瞬外へ出なければなりませんので、天候によってはちょっと濡れたりすることもありますが、それはそれで子供たちも楽しかったようです。

 

また、薪ストーブもありましたが、実は全く便利なものではありません。
薪の確保や着火、灰の処分やメンテナンスなど、かなり面倒なものです。

大きな堀座卓は、立つ、座るが面倒なうえ穴の掃除も意外と大変です。

何だか、不満ばかり書き連ねているようですが、決して苦ではなかったし、今ではこの暮らしがとても懐かしいです。(今は少し違う生活)

和室の3cmくらいの段差も、バリアフリーに・・と平らにしたがりますが、本来段差の意味もあったし、一歩外へ出ればそれほど平らではありません。

トイレのふたが自動で開き、立ち上がると自動で水が流れますが、それ要ります?

 

スキップフロアの家、土間のある家、中庭のある家、吹抜けの家、間仕切りの無い開放的な家、木のお風呂…
どれも楽しく暮らす仕掛けではありますが、便利ではないと思います。

だから、「便利=楽しい暮らし」とはなりませんね。

 

この頃、継承していきたい技術職に就く若者などをテレビで目にする機会が増えた気がします。

便利な世の中だからこそ、情報も得やすく、視野が広がっているのだと思いますが、不便であるからこそ感じられるものや得られるもの、見えるものがたくさんあると思います。

もっと言いたいことはたくさんあるのですが、まとまらないのでこのくらいで・・・

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