だいすきだから、究める。

木の家コラム

断熱や空調 時代の変移と今の家

私が修行した設計事務所は職人の手による家づくりを目指していました。家が新建材と工業化へ向かう時代に対して自然素材や人との関係から生み出される家づくり、モノづくりを大切にしようと。 玄関ドアや窓は建具職人による手造り。木の建具は風格があって味わいが増します。
所長の考えは「高気密高断熱は自然ではない。」「エアコンは無粋だ。」「風の通り道を考え夏はカヤを吊って過ごすといい。」(いっとき事務所でカヤの販売手伝いもしていたくらい)  20年以上前は今ほど暑くなく、断熱や気密も今ほど注目されていませんでした。
しかし今は連日の猛暑に熱帯夜 とてもじゃないけどカヤで快眠は難しいでしょう。断熱と気密への意識が高まると同時に知識や技術もあがりました。世間も性能を求めるようになりました。 住まいは時代を写します。自然の力だけで心地よく過ごすのは難しくなりつつありますし 我慢を良しとする時代でもありません。健康的な住環境を考えると断熱、気密の性能を上げていくこと エアコンなどの設備に頼る事も大切です。
採光や庇といった昔からの知恵も使って出来るだけ省エネにしながら、新しい技術や機械も採用するバランスが求められます。ただし、気をつけたいのが性能と経済性だけにとらわれると住まいがどこか息苦しい。ビニルハウス、冷蔵庫の中のように感じてしまうのでしょうか?それに情緒がないというか。
家づくりをする上でどこか自然を感じられるようにしたい思います。
軸足は自然とともに
天空の城ラピュタで「土から離れては生きられないのよ」という名台詞があります。
家もまた「自然と切り離された住まいは息が詰まるのよ」と感じています。

家づくり小話

設計監理で現場に行った時のこと。大工工事が終わりこれから左官工事(壁を塗る)が始まるという段階。現場に行ってみると 一箇所壁から「込み栓」(柱と梁を留める木棒)が出ているのです。
普通は切り落として、壁の中に隠れてしまうもの。現に他の箇所では全部切ってある。なぜか一箇所だけ残っている?。
あれ?切り忘れ?そして何でこのまま壁を塗ろうとしている? 現場監督に聞きました。
私 「○○さん ちょっといいですか。こっち ほら これ 何で?」
監督「ああ〜 切りますか?」
私 「えっと なんで?切り忘れ?」
監督「△△さん(棟梁のこと)たまにこういうことをするんですよ」
私 「えっと なんで」
監督「いや 気になるなら切りましょう」
私 「いや 気になるけど なんで?」
監督「こういう家だっていうこと ま 洒落でしょう」 みんな知っていて 残しているのですね。
棟梁がわざとやって
監督が そのままほおっておいて
左官屋が そのままで壁を塗ろうとしている。
それを設計者が無粋なことはしてはいけない。 木をしっかり組んだ家だよっていう表現もあるでしょう。
でもそれだけではないと感じました。
じつはいろいろ苦労があった現場だったのですが
この、ひとつだけ残された込み栓になぜか励まされたように感じました。 完成間際になって 住まい手もその込み栓に気付きました。
じ~っとしばらく見ていましたが その後、何も言いませんでした。
住まい手は あの込み栓に何を感じ取ったのでしょう? 今も あの込み栓事件は(事件?)私にとって想い出になっています。
面白い棟梁だったなあ。
こういうのって 人肌を感じるというか 気持ちがいいと感じます。
棟梁の家に対する熱意や思いがあり 周りの人(住まい手や設計者など)への気持ちがある。 家にそのような物語があることは そこに住む人たちにとって、どのような意味があるのでしょう?
時としてそれは青臭いし面倒くさい。
でも気持ちの豊かさ 情操を育んでいけるのは 
やはり 人と人との関係 人と自然との関係 人とモノとの関係だと感じました。
それ大切にしていきたい。 家づくりを通して 人が豊かになっていければと思いつつ・・・

家に温かさは

11月にはいり 暖房が必要な季節になりました。
全国1229人にアンケート「戸建て住宅の熱環境について」という記事で、断熱性能の低い家に住んでいる人の意見が載っていました。
「冬にお風呂に入るのが苦痛だ」「起床時にすぐに暖房をつける」「寒くて使えない 使いたくない部屋やスペースがある」「寒くて洗濯をするのが億劫だ」「掃除をする気になれない」「料理をするのが億劫だ」
寒い家に住むと家事もしたくないし不活性になるようです。さらに築40年の寒いアパートに住んでいた私の経験から加えると、「トイレが寒すぎて行くのを我慢する」「結露でサッシの枠はホコリとカビで黒ずむ」「風呂は修行の場」「布団からでるのに30分は要する」