だいすきだから、究める。

木の家コラム

共存、融合する建築

前回のコラムでUA値の数値を上げるだけでは快適な建築空間が出来ません、数値は一つの判断基準ですが数値のみを追いかけるとむしろ快適な空間創りから離れていってしまいますよ、というお話をしました。
UA値の数値を誇っていた某ハウスメーカーの、このコマーシャルは最近見かけなくなりました。 今回のコラムは、木の家だいすきの会からちょっと離れてのお話。スペインアンダルシア地方にはイスラム建築とキリスト教建築が併存しています。というよりむしろ融合とまで言っても過言ではない建物もめずらしくあります。その最たるものがコルドバにある大モスク通称メスキータです。このモスクは785年に建設が始まりイスラム時代に3回の増築がなされ巨大になりました。現在は東西約135m南北約175mです。1236年コルドバはキリスト教徒によって奪還されましたがモスクをすべて取り壊すことはしませんでした。その代りにモスクの中心をキリスト教教会に造りなおしました。その為骨格は変わっていません。見事な2段アーチも美しく残っています、驚くことにモスクの必須アイティムのキブラやミフラーブも美しいまま残されています。さすがにミンバルは無くなっていました。モスクの象徴であるミナレットも残っています。果たしてこれはキリスト教教会?それともモスク?と思える空間です。 どうやら異なる宗教を敵視してしまうことや過激な破壊は近代から始まったようです。一般の人々は宗教が異なっていても普通に共存しお互いをリスペクしていたことが建築を見ているだけでもわかる空間でした。排除するのではなく共存、融合していく空間に魅力を感じました。日本の公共建築もやっと木の建築との共存、融合が始まってきました。

山を知らない設計者が山を滅ぼす?

SDGsの観点から「伐って、植えて、育てる」という森林の循環利用が大切であることが理解されるようになってきました。熱帯雨林の伐採が環境破壊として問題視されるなかで、20年前は「日本でも木を伐ることは森林破壊になるでしょうか?」という質問に「人工林が多い日本で今必要なことは、伐って植えて育てることです。」と正確に答えられる人は3割程度でした。現在では、この割合は相当高まっていると思います。 このように社会的認識がステップアップした現状のもとで、「専門家である設計者に求められることは何か?」と考えた時に頭に浮かんだ言葉が、「山を知らない設計者が山をほろぼす」という三井所清典氏(日本建築士会連合会元会長、芝浦工業大学名誉教授)の言葉です。日本は傾斜のきつい山地で林道の整備も進んでいませんので、運び出すための条件も考慮して使うことが必要となります。立木はまっすぐ見えても微妙に曲がっていますので長尺材の歩留まりは悪くなりがちです。丸太はよく使われる3mないし4mに伐採現場で切断され、土場に運ばれてきます。長尺や径の太い丸太は事前に情報を伝えておかないと入手が難しいし、価格も高くなります。したがって、建築コストを抑えようとすれば、地域で入手可能な木材情報を設計前に把握し、地域の大工さんが取り組みやすい在来軸組み工法で設計することが有力な選択肢になります。ところで、原木市場が担う“選木”機能は森林資源を余すところなく活用するカスケード利用の役割を担っています。丸太が全て建築用の製材として使えるわけではなく、杭などの土木用材料、木質材料の原料、紙の原料、燃やして熱源とするなどの需要があり、それを仲介する機能を担っています。森林資源のカスケード利用を促すため、製材や木質材料をどう選択して使うか、地域の事情を把握して設計することも必要です。

家づくり小話

設計監理で現場に行った時のこと。大工工事が終わりこれから左官工事(壁を塗る)が始まるという段階。現場に行ってみると 一箇所壁から「込み栓」(柱と梁を留める木棒)が出ているのです。
普通は切り落として、壁の中に隠れてしまうもの。現に他の箇所では全部切ってある。なぜか一箇所だけ残っている?。
あれ?切り忘れ?そして何でこのまま壁を塗ろうとしている? 現場監督に聞きました。
私 「○○さん ちょっといいですか。こっち ほら これ 何で?」
監督「ああ〜 切りますか?」
私 「えっと なんで?切り忘れ?」
監督「△△さん(棟梁のこと)たまにこういうことをするんですよ」
私 「えっと なんで」
監督「いや 気になるなら切りましょう」
私 「いや 気になるけど なんで?」
監督「こういう家だっていうこと ま 洒落でしょう」 みんな知っていて 残しているのですね。
棟梁がわざとやって
監督が そのままほおっておいて
左官屋が そのままで壁を塗ろうとしている。
それを設計者が無粋なことはしてはいけない。 木をしっかり組んだ家だよっていう表現もあるでしょう。
でもそれだけではないと感じました。
じつはいろいろ苦労があった現場だったのですが
この、ひとつだけ残された込み栓になぜか励まされたように感じました。 完成間際になって 住まい手もその込み栓に気付きました。
じ~っとしばらく見ていましたが その後、何も言いませんでした。
住まい手は あの込み栓に何を感じ取ったのでしょう? 今も あの込み栓事件は(事件?)私にとって想い出になっています。
面白い棟梁だったなあ。
こういうのって 人肌を感じるというか 気持ちがいいと感じます。
棟梁の家に対する熱意や思いがあり 周りの人(住まい手や設計者など)への気持ちがある。 家にそのような物語があることは そこに住む人たちにとって、どのような意味があるのでしょう?
時としてそれは青臭いし面倒くさい。
でも気持ちの豊かさ 情操を育んでいけるのは 
やはり 人と人との関係 人と自然との関係 人とモノとの関係だと感じました。
それ大切にしていきたい。 家づくりを通して 人が豊かになっていければと思いつつ・・・

中古住宅の調査診断を誰に頼むか?(ワンストップか、第三者性か)

最近、新築ではなく中古住宅を購入してリノベーションするという人が増えています。よほど状態の良い中古住宅であれば別ですが、購入するとなると、劣化状況や耐震性、断熱性などの性能も気になりますよね。国も、空き家対策や中古住宅の流通を活性化させるため様々な施策を講じていて、2016年には宅地建物取引業法の一部が改正され、専門家による既存住宅状況調査(インスペクションと言います)の活用を促すことが義務化されました。依頼者の意向に応じてインスペクション業者のあっせんの可否を示すという少々ややこしい法律で、インスペクションの実施自体は義務化されませんでしたが、通常の不動産取引の場にインスペクションという言葉が登場することになりました。これまでは、築年数や構造、面積や間取りといった基本的な情報のみで中古住宅を売買していましたが、これからは、中古住宅の劣化状況等も専門家が調査してから売買するという、購入者が安心して良質な中古住宅を選ぶことが出来る仕組みづくりが進められています。

誰にも気兼ねなく楽に暮らせる高齢者の住まい あるケース

将来の体の衰えを見据えての住まいや、老親のための住宅改修など、設計でお手伝いする機会は少なくありませんでした。
高齢者にとって移動を安全にすることと介護が受けやすいこと、関係者にとってはお世話がしやすいことが、新築でもリフォームでも考え方の軸になります。1階だけで生活ができること、段差を無くすことを基本にすることがしばしばなのですが…。ここで紹介するのは、86歳と82歳の高齢夫婦、筆者の父母の住まいについてです。
現在、二人が暮らす築22年30坪弱の住宅は、元々次女夫妻が建てた家です。次女夫妻が家を建てて10年が経過した頃、3人の子供たちが大きくなり何かと手狭であるとの話が持ち上がり、父母が住む向かいの45坪住宅と入れ替わり引越しを行っていました。次女夫妻が建てた家30坪住宅は、スキップフロアのつくりで、道路レベルの駐車場階、半階上がってメインフロア、また半階上がって寝室・収納・トイレ、さらに半階上がって子供部屋フロアの構成です。家の内外に4つの階段があり、小上がりまであるという、言ってみればアップダウンの多い家です。父母がここに住み始めた年齢は74歳と70歳。リタイヤしてまだ数年で体の衰えはみられず、二人それぞれの趣味や孫たちのサポートに忙しくしていた頃でした。

不便益という言葉があるのをご存じですか?

京都大学の川上教授という方が「不便だからこそ得られるものもある」と、「不便益」(造語)という考え方を提唱しています。数年前から唱えているそうですが、僕が知ったのは少し前です。 実のところ、言葉以外に深くは知らないのですが、家を設計する際にとても気になっていた「便利さ」。なぜかというと、暮らしに便利さばかりを求める建て主さんに出会ったことがありまして、話を進めていくにつれ、どんどんモチベーションが下がっている自分に気付きました。僕は本来、暮らしに便利さはあまり求めませんし、暮らす家はちょいと田舎で、最寄り駅から歩くこと20分ほどのところにあります。あと5分近ければ楽だなあ?・・とは思いますが、駅近に住みたいとも都会に住みたいとも思ったことはありません。かつて、8年間ほど実家の「離れ」で暮らしていました。こども部屋は母屋の2階にあるため、部屋に行くには離れの2階のベランダ経由で母屋に渡ります。寒くても、一瞬外へ出なければなりませんので、天候によってはちょっと濡れたりすることもありますが、それはそれで子供たちも楽しかったようです。 また、薪ストーブもありましたが、実は全く便利なものではありません。
薪の確保や着火、灰の処分やメンテナンスなど、かなり面倒なものです。大きな堀座卓は、立つ、座るが面倒なうえ穴の掃除も意外と大変です。

なぜ「伐採からはじめる家づくり」なのか

新築、リノベーションに関わらず、私たちがお勧めしているのは、「伐採見学からはじめる家づくり」です。
伐採見学会では、先人たちが50年60年以上かけて大切に育ててきた木の命をいただき、大黒柱や梁、床板などに利用される木が伐採されるのを見学します。澄んだ空気の森の中で、何十年もかけて大きくなった木が倒れる時の体の芯まで響く音と振動は、何とも言えず厳かな気持ちにさせてくれます。
立木は伐採されて命を絶たれますが、製材され大工さんによって家の中で第2の命を吹き込まれ、住まい手を見守ります。そんな過程を見て感じていただく。―それは、単に「家を買う」では味わえないことです。

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